家庭先祖還元祈願礼式

還元祈願礼式の式次第

2017年8月は、8月21日(月曜日)実施予定です。天候等により変更になる場合があります。

2015年10月18日に倉吉教会 礼拝堂にて、家庭先祖還元祈願礼式が行われました。

以下が式次第です。(変換の関係で、実際の式次第とはフォント・書体が異なっております)

倉吉教会では、月に1回このような家庭先祖還元祈願礼式を行っております。

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み言訓読

人が死んだらどうなるのでしょうか。死ぬ直前までは私のものですが、死んだ後は神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受けたからです。
ですから死ぬまでは、私達の生命すべてはサタン側の因縁を抜け切れないのです。しかし、死んだ後は神様と因縁が結ばれるのです。死なずしては復活できません。一つの時代を過ごさずしては、次の時代を迎えることが出来ないのです。
 「生きんとする者は死に、晋死なんとする者は生きん」という聖書でいう「死」とは、何を意味するのでしょうか。神様が下さった永遠で真の生命を葬り去れと言うことではありません。
 サタン世界の堕落した血統を受継いだ生命を葬りなさいということです。それで、み旨のために死のうとする人は生きると言うことです。この言葉は逆説のようですが、堕落と復帰の内容を中心としてみるとき、そのようにしなければ、復帰が出来ないのです。これは復帰の正常な論法です。

 
 もし神様が人間を見物するために造られたのなら、そのような神様は必要ありません。全神経を人間に注ぎ、6000年の長い、7長い試練の歳月を経てこられながら、人間に対して摂理してこられた目的は何でしょうか。直接的な天の家族、すなわち食口の因縁、父子の因縁を結ぶためです。ですから、無数の苦労の峠を越えて、また越え、今日もこの道を走っていることを、私たちは知らなければなりません。私たちが願う家庭ではなく、神様が願う家庭の食口として登場し、その食口の威信と価値をお父様の前に表すその日が、キリスト教で言う復活の日であり、再臨の日なのです。

 

2015年10月 還元祈願礼式のみ言

  • 「10月度家庭先祖還元祈願礼式」    近藤 広行 教会長
    おはようございます。今日は、霊人体の話から始めたいと思います。お腹の中に子供ができて、霊人体はいつ体に入るのでしょうか?昔は、人間が生まれた時にひよめきから入ると言われました。しかし、ある時に「男と女は、精子と卵子が受精した時に魂の元のようなものがあるのだよ」とお父様が言われました。そうなると胎教も間違いではないと言えるのです。霊人体としてしっかりとした霊人体とはなっていないかもしれませんが、親の声などを聞きながら育っていくのです。そして、またお父様のみ言によると、お腹の中は子供にとって宇宙のすべてであり、最後は死んだ思いでこの地上に出てくると言われるのです。

  • 人間は、神様の子供です。サタンに主管される立場になっていますが、何とかして自分の懐に抱きたいと思っておられるのです。今日のみ言訓読で書かれている内容に、「生きているうちはサタンに主管されているが、死んだら神様のものになる」とありました。それは、死んだら神様のものになるということではなく、サタンと離別していくことで神様のものになるということです。そう考えると神様は、私たちの先祖の時から人間が帰ってくるのを、ずっと待っておられるのです。それは、ただ見て待っている神様ではなく、どうしたら自分の愛した子供が帰ってくるだろうかといつも胸を痛められる神様なのです。お父様は、その神様が私達が死んだ心でサタンを切って自分の下に帰って来てほしいと願われていることを伝えてくださったのです。

  • 堕落においてエデンの園をアダムとエバが追い出されたとありますが、実際はアダムとエバが神様を追い出したのです。そう思うと神様は、高い玉座に座って待っている神様ではないのです。一番底の地獄のような所でわが子を捜し求める神様です。その神様に対して堕落した人類は、神様を受け入れようとしないのです。自分の世界を守って何者も私の中に入れないと思っている人間なのです。訓読のみ言の死とは、このような人間が神様を受け入れていかないといけないことを表しているのです。

  • 最後に霊界にいった時に天国に入れるか、入れないかを決めるのは結局「自分」なのです。どんなに足らない自分だとしても何があったとしても、私は神様の子供であるという心持を持っていることが重要なのです。基元節を超えてお父様は、これから神様の直系の息子娘と言われました。もう、我々が足りるか足りないかではないのです。神様の息子娘として立っているかどうかです!何千年の先祖ががんばったとしても、最後の私達が神様の下に帰っていけなければどうなるのでしょうか。真の父母様と地上で同じ時代に生きた私たちです。最後の最後に留まる私たちではなく、素直な心で私は神様の子供であると感じなければなりません。その道が、先祖の最大の供養にもなるのです!

  • 今日来られた先祖の方は、慰めてくれることを望み来たわけではありません。私たちと共に神の国、天国を築こうと来られたのです。祈願礼式では、霊界のことを話しますが、霊界だけが救われるのではなく、霊界の協助を受けながら生きた我々が神様を選んで本当の意味で生きていく場としなければなりません。神様の願いは一つです。我々と親子の因縁を結んで生きることです!

  • 今日の祈願礼式も先祖の方々のありがたみを感じながらも、私達が神様との因縁を持って新しい出発をきる場としていきましょう!私自身が変わらないといけないのです。新しい世界、新しい霊界の中で一日も早く氏族がお互いに笑い合えるような時を迎えていきましょう。霊界の方の協助を受けながら、そのような世界を築ける神氏族メシヤとして出発していきましょう!